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あまりにも誇大に宣伝し過ぎ?当然だ! [ハードウェア]

新しい技術や商品を売る場合、そうしたモノが存在するという事実とその魅力をどれほど世の中に浸透させる事が出来るかが問題だ。もし誰にも見向きされなかったら、売り出す前に失敗が確定するも同じだ。

特にこれらの開発に多大な金が掛かる場合、必要な資金は借金する場合が少なくない。従って、まだ未完成であっても、愚衆どもを熱狂させるためのイリュージョンを見せ、資金提供者に「投資すれば見返りがある」事を納得させなければならない。

コツコツと努力を積み重ね、それが完成した後に売り出すという手法はもはやほとんどの場合で通用しなくなった。ウソでもなんでも情報をバラ撒いて金と愚衆の関心を集めた者が勝ちの世の中になってしまったからだ。


そんな“モノ”の中の一つに、VR(バーチャルリアリティ)というモノがある。

VRとは現実にはその場に存在しないものを見せたり体験させたりする技術で、大規模なものは建物丸ごと使うモノから、小規模であれば擬似的に3次元画像表示が出来る簡易な装置を頭に装着するモノまで様々。そして肝心のソフトウェアは映画やゲームのようなエンターテイメントが最も大きな用途で、一部では様々な“シミュレーター”の一部として活用されている。


だが、私に言わせれば、現在最も進んだVR技術でさえ子供騙しにしか見えない。
特に普及が進む“頭部装着型”のデバイスに関しては、視差を利用した平面画像を擬似3D化させて視野の狭いディスプレイで表示させるために、“あくまで擬似的でしかない3次元映像”とイヤフォンからの“擬似3D音声”によってVRとは名ばかりのヘンテコな体験を強制され、健康に悪影響があるからと子供には利用を禁止させるケースすらあるほどだ。

にも関わらずそのようなデメリットは一切伏せられて、VRの誇大広告が蔓延している。

そして今日、この事について私の知る限り初めて妥当な意見を見つける事が出来たので紹介する。


2016年は「VRの年」とならない可能性--UnityのCEOが語った仮想現実
http://japan.cnet.com/news/commentary/35082104/?tag=rightAttn


この記事中に

“Riccitiello氏は「あまりにも誇大に宣伝し過ぎた」と述べた。「2016年と2017年で期待外れのギャップが現実化する」”

というものがある。私はこの「あまりにも誇大に宣伝し過ぎ」と「期待外れのギャップが現実化する」という言葉に同意したい。


さらに記事中には、“VRとARが最終的にアナリストの予測よりもはるかに大きいものになる”とも書かれている。
私はこれにも同意する。ただし、VR技術が「子供騙し」の域を脱する事が出来たのならば、という条件付だ。



VRについては古くから映画や小説などの創作の中で語られてきた。
映画「TRON(1982年)」や「マトリックス(1999年)」などはその代表的な例だが、あれほどとは行かないまでも、それに少しでも近付いたレベルでなければ私は納得出来ない。


そして、そんな技術が確立できる未来が来るのかどうかは、今の所まったくの未知数である。



VRのこれからが見えてくるかもしれない、VRを描いた映画10選
http://www.moguravr.com/vr-movie-10/




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